エゴサーチしてみたところ、こちらの古い方がトップに上がっていたので、こちらをご覧になっている人もすこ〜しはいるかもしれないので案内いたします。
現在はこちらにて活動しております。
http://d.hatena.ne.jp/Swatz/
こちらの古いのを消そうかと思ったのですが、これはこれで恥ずかしい思い出としてとっておこうと思います。
とりあえずこのブログに勝てるよう頑張ります!(ぇ
2010年09月25日
2008年12月16日
お引越しするゾ!
■昨日、今日(バイトしながら)といろいろ考えたすえ、ブログお引っ越しを決めました。
「えぇ!?早いな、オイ」
と思われるでしょうが、
自分一度決めたら実行は早いんです、テヘヘ。
■最終的に出した結論は、今は「はてな」をメインにして、英語のために「Blogger」を使おう、というもの。
英語のほうは今の僕の力ではまだまだなので、更新頻度は少ないかもしれませんが、頑張るつもりです。
そして、社会に出る頃には、美しい日本語と奇麗な英語でブログを飾っているハズです(笑)
いや、そうならないと!
■そういうことでコチラへ移行します。
メイン(はてな)
http://d.hatena.ne.jp/ugen27/
サブ(Blogger)
http://ugen-life-eng.blogspot.com/
お手数ですが、リンクやRSS登録の変更の手続き等よろしくお願いいたします。
ブログのアドレスは変わっても、書く内容、というか書く当人は何も変わっていませんので、
これからも見守り、そしてまたお付き合いくだされば幸いです。
ブログ検討中
■最近は将来のビジョンを考えてブログの引っ越しを考えてます。
「お前、またか」
「コロコロ変えすぎだろ」
「浮気しすぎ」
なんて古くから見ていてくださってる方は思うかもしれませんね(笑)
■今使ってるのは
「Seesaa blog」。
こちら大変初心者に優しいブログサイトです。
様々な機能が分かりやすく配置されており、これからブログを始めるなんて方はいいかもしれません。
ですが、欠点としては少々編集作業時が重い…んですよね。
それともっと世界を広げるためには不十分かな、と思ってたりしてます。
■それで現在気になってるのが
「Blogger」
「はてなダイアリー」
です。
BloggerはあのGoogleのブログサイトなので、世界規模!
日本ではそんなに広まってはないのですが、日に日に機能が増えています。
僕のビジョンとして、英語と日本語のブログをつくりたい!というのがありますので、スケールとしては最高かな、なんて思ったり。
今現在の最有力候補です。
「はてなダイアリー」は、前回の日記に書いたように、「はてな」と接触をもつために使おうかと。。。(笑)
この「はてなダイアリー」はネット上での有名人はよく使ってるんですよね。
そういうつながりを求める上では大事かなと。
■これ僕の性格なのかもしれないんですけど
「いろんなことに手つけるんじゃなくて
これ一つって決めたものにのめりこむ」
のが好きみたいです。
つーことで、もうちっとシンプルに表現していきたいなぁ。
まだ検討中ですが、いずれはどこかに引っ越しするつもりです。
「お前、またか」
「コロコロ変えすぎだろ」
「浮気しすぎ」
なんて古くから見ていてくださってる方は思うかもしれませんね(笑)
■今使ってるのは
「Seesaa blog」。
こちら大変初心者に優しいブログサイトです。
様々な機能が分かりやすく配置されており、これからブログを始めるなんて方はいいかもしれません。
ですが、欠点としては少々編集作業時が重い…んですよね。
それともっと世界を広げるためには不十分かな、と思ってたりしてます。
■それで現在気になってるのが
「Blogger」
「はてなダイアリー」
です。
BloggerはあのGoogleのブログサイトなので、世界規模!
日本ではそんなに広まってはないのですが、日に日に機能が増えています。
僕のビジョンとして、英語と日本語のブログをつくりたい!というのがありますので、スケールとしては最高かな、なんて思ったり。
今現在の最有力候補です。
「はてなダイアリー」は、前回の日記に書いたように、「はてな」と接触をもつために使おうかと。。。(笑)
この「はてなダイアリー」はネット上での有名人はよく使ってるんですよね。
そういうつながりを求める上では大事かなと。
■これ僕の性格なのかもしれないんですけど
「いろんなことに手つけるんじゃなくて
これ一つって決めたものにのめりこむ」
のが好きみたいです。
つーことで、もうちっとシンプルに表現していきたいなぁ。
まだ検討中ですが、いずれはどこかに引っ越しするつもりです。
2008年12月13日
現在の目標
■目標を設定することはとても大事ですよね。
しかも、それを公言することはもっといい。
プレッシャーが気持よく自分を押し出してくれるから。
ただいろんなことでコロコロと変わってしまうかもしれない。
それでも立ち止まってるよりか、突っ走ってる方がよっぽどいい。
そういうことで自分の現在の目標を発表したいと思います。
●梅田望夫さんに会う
主著である『ウェブ進化論』や特に『ウェブ時代をゆく』には大変感銘を受けまして、ぜひ直接会ってみたいなと。。。
現時点ではかなり遠い存在ではありますが、あの茂木さんにも会うことができたのだし、不可能ではなかろうと思ってます。
このために今やろうと考えてるのが、本の感想などをメールで送ったり、あるいはコメントを書き込む。
そして、最強手段として『はてな』にアルバイトに行こうかなと。
何気に募集してるんスよね。
そのために今はてなダイアリーを作成してたり(笑)
頑張ります!
●出版
これまた遠い将来のことでしょうね。今の駄文じゃ誰も目につかない。
けど、不可能じゃあありませんね!やる価値はある、ウン。
おなじ大学生でも本出してる人とか、起業してる人なんてザラにいますし。
っちゅーことで、引き続きブログを書き続けようと思います。
まだまだ目標はたくさんありますが、常時追加していきたいと思います。
この不可能にみえる目標が成し遂げられるモンか、ぜひ見守っていただければ幸いです。
…ゆくゆくはスティーブ・ジョブズに会いてぇな(笑)
茂木さんの応答についての言及
■さて、大分長い時をおいてしまいましたが、11月24日にあった東大の茂木さんの講演会での応答についての言及文を書きたいと思う。
その前にちょっとおさらいとして、その応答の内容をコチラに。
ぼく:
「たくさんの同世代の人間と話していてよく思うのですが、
科学が進歩した現代、脳が世界や心を創っている、という脳一元論的な考えから、
どうせ死んで脳の活動が停止してしまうのだったら、
全てなくなってしまう、
生きることには意味がなくなってしまう、
というニヒリズム(虚無主義)を感じているヤツが多いような気がします。
茂木さんはこれについてどう思いますか?」
茂木さん:
ぼくも世界は機械論だと思っていた、32歳までは。
だけど32歳の時、電車の音を聞いてクオリアということを知った。
質感がある、意識がある。
脳の周波数を分析してもどうしても電車のクオリア(ガタンゴットンというあの音)にとどかない
そのことに気がついた時、衝撃だった。
俺は今でもあの衝撃の残照の中に生きている。
脳神経科学がどんなに発達しても届かない。
わかんないのですよ
これが青く見えている クオリア ということが・・・
質感がある
意識がある
科学主義の論理から出てこない。
このことをどう説明するか?
わかんない
私たちは世界の真理をぜんぜん知り尽くしていない。
どんなサプライズもおこりうると思う。
ニヒリズムなんかないと僕は思う。
フェルメールの画をみてもその友達はニヒリズムを感じるのか?
もしそうなら
そいつらにニヒリズムの一時的忘却に勤めるよう、よろしく伝えてといてくれ。
といった応答だった。
■結局のところ茂木さんの答えは簡潔に言えば
「わからない」
と
「忘却」
だった。
「わからない」というのはつまり「いかなるサプライズもおこりうる」つまり、そう「無限の可能性」を秘めているということだ。
「確かにそうとも言える、だがしかし・・・」
「機械論という可能性も大いに考えられる、しかしこの『クオリア』や『意識』の問題を解明すれば・・・」
とこういうことになる。
だから、この「無限の可能性」は
「知のオープンエンド」
とか
「暗闇への跳躍」
ともポジティブにとらえることは可能だ。
だがしかし、逆に負の側面を見ると
「終わりがない」
「キリがない」
「一時的満足」
と言うことができる。
いや、というかむしろ、学問・研究をすればするほどこちらが前面に出てきやしないだろうか。
今ある常識や法則も、過去から修正・改善・転回されてきたもの。
法律だって物理法則だって、革命の連続である。
だとすると、同様に現在「これが正しい」と思われてるものも、未来では「間違っていた」「誤りであった」と思われるものではないのか。
ハッキリと「これこそ真実だ」「これこそ真理」、といえるものはあるのか。
あのアイザック・ニュートンも自分のことを
「真理の大海を前に、小石や貝殻で喜んでいる小さな子供」
のようなものと言っている。
また、あのチャールズ・ダーウィンまでも自身のことを
「事実の山をすりつぶして、一般法則をしぼりだす機械」
と語っている。
これを茂木さんの著書である『思考の補助線』では、「無限に向き合う真摯な思い」と表現しているが、ぼくにはとてもそうはとらえられない。
これは「真摯」な態度ではなく、
最果てのない「仮初めの事実」の発見者である自己に落胆している「絶望」の言葉としか思えない。
「世界の神秘」を解明することが人生の目的、みたいなことを思って頑張っていても、ふと我に返ると「何も分かっていない自分」が分かるように。
「限りある人間の生において、明示的なかたちで世界を引き受けることなど、たかが知れている」
「無限に向き合うときに私たちの心の中にわき起こるさまざまな感情は、基本的に絶望の通奏低音で満たされているが、その絶望の中でも、有為の有限を積み重ねる。そのような努力の中に、人間の感情技術の精華があると信じたい。」
と『思考の補助線』(P152)に茂木さんは書かれている。
結局はそう「信じる」しかない。
信じれない人間はどうするか。
フェルメールの『真珠の耳飾りの少女』を見てほぅっと感動するか、
モーツァルトの『ディベルティメント変ホ長調』を聴いて一時の安らぎを得ることなど、
感情による「忘却」しかないのだ。
■茂木さんの言っていることに反論するわけではない。
いや、そもそも「どう思うか」と尋ねて、単に茂木さんの考えが知りたかっただけだ。
「正しい」も「間違い」も言える立場ではなかろう。
だが、「忘却」あるいは「信じる」という解決策は、一時的にニヒリズムを頭から消すことはできるが、
本質的に解決する策としてはまだ全然不十分である、とは言える。
そもそもニヒリズムを感じてないなんて言う人は、感情によるオブラートで自らをつつんでいるだけだ。
一度そのオブラートを拭い取ってみるといい。
そこに見えるおぞましき絶望の淵に驚くはずだ。
そして、その驚きから、現代のニヒリズムを打開する哲学は始まる。

(ちくま新書 2008発刊『思考の補助線』サイン入り)
2008年12月10日
五つの管理 その一 「時間管理」
■「時は金なり」
古くから言われる言葉ですが、実に古今変わらぬ金言です。
ブログのタイトルであり、テーマでもある
「有限の人生」
すなわち、いつかは死ぬときが人間誰にしもやってくるということ。
時間は無限ではありません。
有限なんです。
ではそんな時間をどう活用すればいいか。
そのための手帳の時間管理です。
■さて、それではまず始めにこの時間管理の意義を説明しましょう。
それは
「信用」
なんですね。
どういうことかといいますと、時間を管理するというのは、予定を把握するということ。
つまり
約束を守ること
であり、また
期限を守ること
です。
これらを果たすことで信用が築かれるのです。
もし友達と8時に会おうと約束したのに、10時に来たら、ちょっとカチンときますよね。
あるいは、とある人の誕生日のために「明後日までにケーキを持って来てくれ」と頼んだのに、半年後に持ってきたら、怒りますよね(笑)
この時間と言ったのに、その時間を破る。
これでは、信頼なんてあったもんじゃない。
信用とは時間を守ることでつくられるものなんです。
そして、そんな必ず時間を守って、周りから信用されている人間には得をすることが多い。
なぜか。
それはこれを見れば分かります。
↓
「儲かる」
↑
分かりますか?(笑)
まぁ、理解されているとは思いますが…
「儲」
この時を分解すると
「信」と「者」。
つまり、
「信」用される「者」は、『儲かる』
と!(笑)
とまあ、ちょっとした笑える小話ではありますが、事実ですよね。
成功している人に必ずあるのは、この「信用」ということです。
人生においては「財」を築くよりも「信用」を築くことが重要と言われます。
なぜなら、信頼されている人には、向こうからカネがやってくる。
逆に信頼されていない人は、カネをもっていたとしても、一時的。すぐに失ってしまいます。
ということで、そんな信用を築き、また失わないために
時間管理
がとっても重要なんです。
■次回は、具体的な管理方法を話したいと思います。
2008年12月08日
500円
■ビラ配りのバイトを今しているのですが、この前心温まる出来事がありました。。。
ビラ配りって、皆さんよくお分かりになるとは思いますが、基本的にスルーされます(笑)
ティッシュとかボールペンとか、そういう付録があれば話は別なのですが、あくまでチラシですので。
その商品を買いたいという人以外はいりませんよね?(自分もいらないと思いますモン)
しかし、それでも受け取ってもらわなくてはなりません、…アルバイトなので。
そこでどうするかというと
手数はもちろんなのですが、それより大切なのは
「笑顔」
と
「感謝」
ぶすーっとした顔よりも、それがたとえ作り笑顔だとしても、受け取る側からしたら笑顔がやっぱりいいでしょう。
想像してみたらよく分かります。
受け取ってもらえたら必ず「ありがとうございます」と言う。
これも受け取る側の気持ちを考えたらそうですよね。
これらのことは「当たり前」のことなのですが、この「当たり前」を長時間、しかも腹が立ってる時でもやるとなると、とっても難しい。
ひたすらビラを配っていると何度も「オレ(アタシ)がこんなのいると思ってんの!?」と怒られることがあります。
しかし、それでも「笑顔」と「感謝」。
なかなかこれを上手いこと続けるのは困難なことなのですが、
そういう困難なことほど、やっていると必ずいい結果がくるものです。
■先日のバイトにて、2時間ほど配った時でしたかね。
目の前のこの人に「笑顔」と「感謝」や〜、と思いながらやっていると
突如横から、おば様がビラを受け取ってくれました。
明らかに使わなそうなのに。
そして
「頑張ってるね。
これで水分とってね」
と
500円玉を握り渡してくれたんです。
あまりに突然なことにボーゼンとしましたが、向こうへ行かれたその人の背中に向かって
「ありがとうございました!」
と声を出していました。
すぐさま行かれてしまったので、その声が届いてたかは分かりません。
ぼくの手に残ったのは500円玉。
心にジーンとくるものがありました。
■向こうには何の得もないのに…、なぜ下さったのか。
聞いてみないと分かりませんが、僕は「笑顔」と「感謝」の力を信じています。
まあ、単純に哀れに思ったのかもしれませんが(笑)
■別に大したことではない。
何か偉業を成し遂げたわけでもない。
しかし、
こういった人の温かさに触れるこの瞬間、とても気持ちが豊かになるのだ。
季節は冬、されど心は温かく。
2008年12月06日
手帳で人生を管理するべし!
■今年も終わりに近づいてきて、文具屋あるいは本屋に新たに「手帳」が並んできました。
みなさん来年2009年の手帳はもう求めましたか?
「おっと、忘れてた」とまだ購入していない方は、お早めにお求めを。
しかし、「手帳」といわれてもピンとこない人、というか未だに買ったことがない人もいるかもしれませんね。
そこでぼくなりの手帳の意義をお話したいと思います。
■手帳と言っても、最近はかなり多くの種類が存在します。
サイズも手のひらサイズからバイブルサイズ、A5など。
そして、有名な人のてがけた手帳なんてのもたくさんありますよね。(7つの習慣とか超整理術のなんて有名ですよね)
ではその手帳を使って何をするのか。
ひとえに手帳の意義とは
「自己管理」
のためのツールだと僕は思っています。
「自己」とはその字のごとく自分のこと。
つまりは自分の人生と考えていいですね。
「管理」とは、現状を維持し、把握すること。
そして、現状の改善を促すことです。
すなわち日々努力向上し、自分の人生を改善していくための道具として、「手帳」があるのです。
■といっても「人生管理」はあまりに広いので、大別する必要があります。
おおまかにいって5つくらいに分けられると思います
・時間管理
・経済管理
・健康管理
・知識管理
・目標管理(モチベーション管理)
といったものがあげられます。
これらをまとめて管理できるのが手帳なんです。
といってもこれ全部まとめるとなるとそれなりの大きさの手帳を買わなくてはなりません。
ちなみにぼくは「バイブルサイズ」のシステム手帳を先日購入しました。
もっと細かく管理しなくてはならないビジネスマンの方はより大きいのを購入しているようです。
でも時間管理だけしたい、なんて人は胸ポケットに入ってしまうくらいの大きさのものでも十分でしょう。
■5つの管理、それぞれどういうことをやるべきなのか。
またデジタル化が進んだ現在、なぜ手帳というアナログを選ぶのか。
これらについてはまたおいおい、書いていきたいと思います。
2008年12月03日
路上音楽家とブロガー
■はたまたバイト帰り、場所は川崎市麻生区新百合ヶ丘。
夜、ここには「ストリートミュージシャン」が多く集まる。
ギターとボーカル二人でポップをやっているのもいれば、バイオリンを一人で弾いてるのもいるし、ドラムにベースにキーボードが揃ってるのもあった。
それぞれみんな思い思いにやっている、楽しそうに。
道通る人々は一瞥するだけで、通りすぎていく。
しかし、観客ゼロでも彼らは弾く。
すると、群衆の一人がミュージシャンの前に行き、お金を入れ、しばらく腕を組みながら耳を傾けていた。
一曲終わり、演奏者はその一人に「ありがとう」と言い、チラシを渡す。
そして次の曲を始めるが、唯一の観客はチラシを手に帰路へ戻ってしまう。
再び誰もいない場で音楽は流れるのだった。
しかし、この路上ライブをある周期で繰り返していると、一人二人ではあるけどもいつも来てくれる人が出てくる。
更に続けていると、その人が友達を誘って、観客が増えている。
いつの間にかそのミュージシャンの周りには人だかりができているのだった。
■これらのストリートミュージシャンたちを見てて、ある種思うものがあった。
「ブログ」も同じだよな、と。
ぼくがブログを書き始めたとき、当然だがまるっきり反応はなかった。
壁に向かって一人言葉を発してる感じ。
アクセス解析してもカウンターつけても、虚しくなるばかり。
けど、それでも続けた。
友達とかにもブログやってんだ、とか言ってみたり、誰かのブログにトラックバックをつけたりもした。
するとカウンターが少しだが回るようになった。
それを見てやる気になり、さらに書き続けた。
そうするとトラックバックから人が多く来たり、リンクからも同じように、さらにはコメントまで頂いた。
アクセス解析すると、確実に毎日見に来てくれる人がいることが分かった。
今は昔と違う、壁に向かってんじゃない、人に対して言ってんだ、そう思えるようになり、言葉の重みを感じた。
長年ブログをしてる人からすれば
「そんなの当たり前だろう」
という感じだろうが、それは最初の頃の自分を忘れているだけだ。
自分が「ストリートブロガー」だったことを思い出して欲しい。
■今もなお、ぼくは新米の「ストリートブロガー」だ。
だけど、書いてることは楽しいんだ。
しかし、ストリートミュージシャンがメジャーデビューを夢見るように
あわゆくば、ぼくも「メジャーブロガー」にデビューしたいもんだ。。。
夜、ここには「ストリートミュージシャン」が多く集まる。
ギターとボーカル二人でポップをやっているのもいれば、バイオリンを一人で弾いてるのもいるし、ドラムにベースにキーボードが揃ってるのもあった。
それぞれみんな思い思いにやっている、楽しそうに。
道通る人々は一瞥するだけで、通りすぎていく。
しかし、観客ゼロでも彼らは弾く。
すると、群衆の一人がミュージシャンの前に行き、お金を入れ、しばらく腕を組みながら耳を傾けていた。
一曲終わり、演奏者はその一人に「ありがとう」と言い、チラシを渡す。
そして次の曲を始めるが、唯一の観客はチラシを手に帰路へ戻ってしまう。
再び誰もいない場で音楽は流れるのだった。
しかし、この路上ライブをある周期で繰り返していると、一人二人ではあるけどもいつも来てくれる人が出てくる。
更に続けていると、その人が友達を誘って、観客が増えている。
いつの間にかそのミュージシャンの周りには人だかりができているのだった。
■これらのストリートミュージシャンたちを見てて、ある種思うものがあった。
「ブログ」も同じだよな、と。
ぼくがブログを書き始めたとき、当然だがまるっきり反応はなかった。
壁に向かって一人言葉を発してる感じ。
アクセス解析してもカウンターつけても、虚しくなるばかり。
けど、それでも続けた。
友達とかにもブログやってんだ、とか言ってみたり、誰かのブログにトラックバックをつけたりもした。
するとカウンターが少しだが回るようになった。
それを見てやる気になり、さらに書き続けた。
そうするとトラックバックから人が多く来たり、リンクからも同じように、さらにはコメントまで頂いた。
アクセス解析すると、確実に毎日見に来てくれる人がいることが分かった。
今は昔と違う、壁に向かってんじゃない、人に対して言ってんだ、そう思えるようになり、言葉の重みを感じた。
長年ブログをしてる人からすれば
「そんなの当たり前だろう」
という感じだろうが、それは最初の頃の自分を忘れているだけだ。
自分が「ストリートブロガー」だったことを思い出して欲しい。
■今もなお、ぼくは新米の「ストリートブロガー」だ。
だけど、書いてることは楽しいんだ。
しかし、ストリートミュージシャンがメジャーデビューを夢見るように
あわゆくば、ぼくも「メジャーブロガー」にデビューしたいもんだ。。。
タグ:ブログ ストリートミュージシャン



